2019年12月30日月曜日

「愛していると云ってくれ」 

心理カウンセラーの丸林なおみです。

少し前に「愛していると言ってくれ」というタイトルでブログを書いた。
今日も同じタイトル。
けれども、よく見ていただきたい。
「いってくれ」の漢字が違うのに気づいてもらえるだろうか。

今回のタイトルは中島みゆきの40年以上前のアルバムのタイトルなのだ。
中島みゆきは、切ないほどに失恋の歌を歌っていた。
本当に聴くものたちと等身大で(・・・と私は思っている)
きれいごとではなく、失恋したどうしようもない、やるせない、切なく悲しい気持ちを、
歌っていた。

この間、高校の同級生3人で当時の中島みゆき談議に花が咲き、
とうとうお寿司屋で、歌ってしまったほど。
この「愛していると云ってくれ」のアルバムは、
「元気ですか」という台詞だけから始まる。

*「元気ですか」と電話をかけました
 あの女(ひと)のところへ電話をかけました
 いやな私です
 やめようと思ったけれど

 いろんなことわかっているけれど
 わかりきっているけれど
 電話をかけました

 ~中略~

 でも今夜は 私 泣くと思います
 うらやましくて
 やっぱり
 うらやましくて
 うらやましくて
 うらやましくて

 今夜は泣くと
 ・ ・ ・ ・ ・ ・思います

そして「怜子」という歌が始まる。

*怜子 いい女になったね
 惚れられると 女は
 本当に変わるんだね ~略

そう、失恋した彼女は、彼の新しい恋人に電話をかけるのだ。
彼女と新しい恋人は友人らしい。
失恋した彼女のやるせない気持ち、行動がこの歌につづられている。
「怜子」の最後は

*人の不幸を 祈るようにだけは
 なりたくないと願ってきたが
 今夜 おまえの幸せぶりが
 風に追われる 私の胸に痛すぎる

である。

もし、聴けるチャンスがあったら聴いてみてほしい。

私たちは、どうしようもない悲しい出来事が起こることがある。
自分ではどうすることができないことが起こることがある。
それは、とてもとてもつらいことかもしれないけれど、
受け止めるしかない。
とことん悲しむのだ。
恨む気持ちがあっても当然。
うらやむ気持ちがあっても当然。
全部自分なのだ。その自分を受け止めるのだ。

この歌詞は、とても切なく、悲しく、本当につらい気持ちがつづられている。
けれども、とことん悲しんだ彼女の先に、なぜか光っているものを今は感じる。

とことん、自分の気持ちを正直に受け止める。
頑張らなくていい。

ひとりでは受け止めるのがつらい時、
そんな時のお手伝いがカウンセリングなんだと思う。

つらい時はつらいと感じていい。
悲しい時は悲しいと感じていい。
全部、それもあなたなのだから。

「愛していると云ってくれ」のジャケット
               







 

2019年12月14日土曜日

古の都で・・・

心理カウンセラーの 丸林なおみです。

奈良に行ってきた。
長谷寺に行くのが目的だったのだが。

初日に長谷寺を参り、ご本尊様のお御足に触れてご縁を結んでいただいた。
40年以上も愛し続けている阿修羅像とも再会。
しかし、しかし
法隆寺で百済観音像が目に入ったとたん、私は素晴らしさのあまり
ため息と同時に大きな声を出してしまった。
お名前は聞いたことがあるが、写真でも全身を見たことがなかった。
木造のため、お顔は少し傷んでいるものの
全身から漂う美しさは、思わず声が出るほど。
しばらくそこを動けなかった。
「あなたにお会いできて、良かった。幸せです。」と観音様に伝えた。

たくさんのお寺や仏さまとお会いした。
どの仏さまも慈悲深いお顔で、私を迎えてくださった。
とてもとても幸せな時間だった。

このままでいいんだよ。
あなたは、あなたでいいんだよ。

長谷寺の登廊

2019年12月7日土曜日

どうでもいいことだけれども・・・

心理カウンセラーの 丸林なおみです。

どうでもいいことだけど、人にはそれぞれ気分が上がるものがある。
今日、私はそれに遭遇した。
昨日あたりから、ソワソワしていたのだけれども。

車の走行距離なのだが、
同じ数字が並ぶ瞬間があとわずか!
以前"7"が並ぶ時も相当気分が上がった。

今回は"9"
"99999"からの"100000"
この瞬間は外せない!

こんなこと、ほんとにどうでもいいことなんだけど、
通常見れないものが見れる嬉しさ!
5㎞前あたりから、いつでも停まれるこころの準備。

きたー!
・・・からの


だから人生は、楽しい!

2019年12月3日火曜日

「親友」

心理カウンセラーの 丸林なおみ です。

「この人が、あなたの親友?」 
「親友って、何人くらいいる?」
とか、この手の質問は、昔から苦手である。

親友がいないから。
そもそも「親友」という概念があまりわからないのだ。
「友達」と「親友」の違いがどこなのか・・・

この人は友達で、あの人は親友。
こんな風に分類できるのだろうか・・・と。

人の話を聴いていると、人が「親友」と言ってる人のことは、私の「友達」となんら変わりがないような気がするのだ。
要するに、私にとってどうでもいいことなのだ。
私の人生の中で、現在の生活の中で、「友達」は「知人」よりも、私と関わってくれているし、
影響しあいあっている。これでいいのではないか。
良くも悪くも・・・

そんな私だが、一人だけ「親友」がいる。
そう、ひとりだけ・・・
小学校の時、私たちは「親友」になった。
私の気持ちは今も、そのときのまんまなのだ。
私は彼女の「親友」になれてとても嬉しかった。
なんとなく誇りにさえ思っていた。
そんなこと、彼女に伝えたことはもちろんない。
彼女は、ちょっとだけ私より大人っぽく、ちょっとだけ私よりなんでもうまい。

今は、ほとんど会ってもいないけれど、
やっぱり、なんとなく、ずーっとつながっている。

そんな彼女に今日久しぶりに会った。
やっぱり彼女は、ちょっとだけ私より素敵だった。


「親友」との交換日記(中学1年)
今読むと、新鮮!いやいや恥ずかしい!